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Satomi * starsound

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つながる部分と、ゆらぐ部分

「地球のどこかにいる人、もういない人をも助けたいと思っているときは、目の前の人や自分を大切にすること。なぜなら人はすべての領域で繋がっているから」

……と、瞑想中に言葉を受け取ったことがある。それまでは明確に感じるることなく見逃してきた感覚で、自分はそこから力を得たり、誰かのことを考えていることに、日々の中で気がついた。

そこからの感覚だと、人は黄金の海のようなところから浮かび上がってくる、あぶくの一つのようなものだった。海からは離れることもなく、あぶく同士は時間も場所もなく繋がっている。だから誰かの行動が、未来や過去のどこかに影響を及ぼしたり、助けたりすることがあるようだった。人生とか個性は、このあぶくの表面に浮かび上がる、虹色のようなものだった。

でも、恐怖があったり心配事があると、この繋がっている感覚が薄れてしまう。また「私と彼」とか「私の特別な使命」……は別にいいのだが、このあぶくに過ぎないものが同じ海にいることを忘れて、「わたし」「あの人」と差別化が強くなってくると、この全体的な繋がっている感覚が薄れていく。

セッションでも、クライアントの状態によらず、とても調子よさそうに見える人ですら「わたしは……」「わたしなら……」と積極的に離れることを好む人物を前にすると、急速に金色の海が見えなくなっていく感じを受けた。

独自の役目や仕事、個人的な苦しみは、きっと何かの役に立つ。でも、黄金の海に浮かぶ泡……という視点で見ると、良かろうが悪かろうが「私だけの」色であろうが、あんまり泡にも海にも、現象に大した影響を及ぼしていない。この金色の海の状態は、それほどまで安定しているし美しい。

(余談だが、この海を色々な階層から感じると、天使の階級に当てはまっていくような気がする。層を選んでから海に対してスナップショットをとるように接してみると、ひたすら歓喜を歌うものとして感じられたりする)

年を経るにつれ、あまり迷わなくなったのは、どんな状況であれ、この海を求めているからなのだ。私がガイドや美しいものを感じていられるのは金色の海に触れているときだ。

この感覚を遠ざける状況にあったときは、ストレスを受けたり反応する前に、その状況自体は尊重して(変えたいわけではなく、苦痛なだけなので)、離れた。どうせなら穏やかでいられる選択をする。

たぶん理想は、「どこにあっても感覚を繋いでおけるようにする」状態なのだろう。
私は、黄金の海を感じにくくなると、苦痛を覚える。




ところで最近、長年の便秘が解消したような、悪夢から覚めたような体験をしたり、身近な人からも同じような話を聞く。いいニュースがもっといっぱい増えますように。

近況報告

書き込みがずいぶん久しぶりになる。
年明けから、本業としている仕事上でも直感を使用する機会を得たりして、ステージが変わった感じだった。現実でのレスポンスがどんどん早くなり、祈り⇒答えの間隔がなくなっている。

不思議だったのは、この状態が進むにつれて、自分や人の弱さがよく分かってきたということ。前なら単純に「すごい、なんかラッキー!」とか「不思議って楽しい!」だけで舞い上がったり増長しそうになっていた現象たちが、感謝や謙虚とセットで動いていることに気がついた。

この流れで、数年間動かなかった大切な人との関係が動いたり、以前なら考えもしなかったような行動をとって、半径が広がった気がする。

そして同時に、無理がきかなくなった……
昔なら、「頑張ることに価値がある」っていう根をつめがちな性質が、いらないところにも首を出して、つい歯を食いしばっていた。でも今は、頑張りたい所にしか力がでないようになった。

睡眠時間を削ってでも「私の仕事が役に立つならがんばる!」と根をつめていたのが、「自分を大事にする!」と宣言して休んだ翌朝。祖父が他界した。その前後からタイミングがあいすぎて不思議なことが続いていた。(誰かに会うなということだけ分かっていて、その見えた場所まで歩いていくと、案の定私を探していた誰かとすれ違うとか、私に電話しようとしている誰かとバッタリはち合わせるとか)

いいのか悪いのか、2007年になってから特に、私の知り得ないようなスケジュールに知らずピッタリ合わせて動いているようで毎日が面白い。自分のペースは「超マッタリ」モードなので、この静かな動きのなかでノンビリ楽しんでいられるって、ありがたいことだなんだなと思う。

朝と夜には、自分の魂にふれる静かな時間を持つ。夜は意識的に、自分の魂、ガイド達と触れる時間としている。とても静かで幸せな時間で、その間に感謝できることを探したり、好きな自然のことを考えたり、全体の個々それぞれの一番よい状態を祈る。

クライアント関係、友人関係、気にいって、よく受けにいくセッション関係の人達に、数年前から共通する特徴があって、「やたらと結婚率が高い」というのがある。特徴は結婚したがっているというよりは、目の前にある自分ができることに頑張っていた人達。独特の爽やかさがあって、女性でも男性でも、「ねばり感」のない人がウマくいっていると分かった。

恋愛モードに関係するかわからないけど、上手くいったり結婚する人は、ミントのような爽やかさがオーラにある。話していて、ぺちょっとした粘りを感じたひとは、まず「うまくない」感じの現状にある人なのだ。どうやれば爽やかさんに変わるのか、分からないのだが、ヒーリングとかを受ける時には要注意。ヒーラーが粘ってるとネバ倍増だ。

(ということで、ネバが気になった人には、エネルギーワークやらの世界にはまるよりも、外歩いていい空気吸ったり、ネバってないメディアに触れる等する生活改善をおすすめしている。エネルギーワークを誰かに頼む場合は、よく見て大丈夫か判断するようアドバイスする)

「休み」の必要性を感じていて、祖父の死で久しぶりに長期の休みが取れたあと、またエンジン全開で動こうとした私に風邪の恩恵がやってきた。ということで、タップリ休んで元気補給できたぶん、休み中はボランティアにも力を注いでいた。

どう転んでも、帳尻はあうし、人生は受け止めてくれると直感的に分かっている状態に繋がっていると、とても安心する。

優雅な休日

本を持ち歩き、好きなカフェでコーヒーを飲む。たまには土曜日の昼間からギネスを飲みつつ往来を眺めるのもいい。(注・オッサン疑惑等その他は後で聞く、今は黙って読んでくれ)

11月11日。一が並んでいるといえば、プレステ3だ。買う予定はないが、通りがかった電気屋でみた映像は凄かった。そのときはiPod Shuffleを探していた。ゲームは数週間を集中的にやって、その後1,2年は存在を忘れてしまうので、あまり経済的な趣味とはいえない。趣味に経済的もないか。

脳裏をよぎる面子やら、自分の半分がどこかへ行っている感じを味わいながら、一日を過ごした。次の日も過ごした。

16時半すぎ、合図のようにアラームがどこかの部屋で鳴った。

プレステというか。

なんか忘れてないか。

……あ、レベル3って今日だったっけ?(正確には昨日から?)


てへっ

料理とか陰陽とか、でもマクロビの話題でもなく

陰陽編。最初はガブリエルから。

最近、空……というか世の中的な流れを、見えない世界側から観察するのが面白い。混沌とした後にスッキリとした流れを感じた秋から冬にかけて流れていく動きで、天使たちと絡めて陰陽との関連を考えたりした。

陰陽マークで言うなら、陰陽が極まっているときに種のように内包されている反対の極。この「やがてやってくるもの」を内包した状態はガブリエルに関連している。

この種は、いつか広がり極まる可能性を約束されている。状態が極まっているように見える時に、思いもよらなかった可能性が生まれている──という意味で、「処女の胎内に、幼子が育っている」状態にも通じている。

闇が極まっても光の種がある……希望は必ず残り、広がっていく。この陰陽で面白かったのは、裏返しの可能性も必ずついて回ることだ。

光ばかりになった世界の中でも、闇を殺さず種として生かそうとする働きもあるのだ。可能性といえるものは全て残して「選択余地」とか「自由意志」とか「暗い時間」の存在を許しているのが面白い。

ガブリエルは希望や夢や、思いもよらなかった奇跡の種を守りながら、同時に「その存在ごと消したい」と疎んじているような「暗い側面」をも、穏やかに守っている気がする。消す必要はない。種とは未来や先代の知恵なのだ、と。

先代や仲間や、自分の経験で生き延びてきた人間は、そういった可能性を「消す」とか「忘れる」ことはできない。その種を発芽させるかどうかは私たちに任されているが、いつか思いもよらぬ形で役に立つかもしれなくて、その暗い種こそが「奇跡の種」に化けたりする。

たとえば失敗談であっても、誰かに伝えた時には「みんなのためになる宝」として機能したりする。伝えてみるまで分からないなら、種として残して守る。いよいよ生まれるとなったら、作者や伝え手に対して「それは誰かにとって喜ばしいもの」とはげます。

ガブリエルがメッセンジャーの守護者というのは、こういった働きからも理解できる。個人的な問題でも、追い込まれた一族でも、困難や何かが極まって「異質が生まれる瞬間」に、ガブリエルはやってくるのではないだろうか。

植物でも(←でた)、収穫された秋の果実(刈り取るミカエル)から、「もうイラナイだろう」と捨てられた種を、土で受け止め保護する働きがガブリエルの領分なのだろう。

果実としての一生を終えたとたんに、つぎの一生が生まれる瞬間にやってきて(死が極まったようで生が含まれている)、その生を保護する。

それは来年、誰かに美味しい実を食べさせるものかもしれないし、きれいな花をつけるかもしれない。芽を出すのは待つにしても、その種には先代から先々代から……と受け継がれた可能性がつまっている。

未来であり過去であるような、「そこから生まれた」のに「それを作るために一生をかけた」もの。



拡張していくと、潜在意識に投げ込まれた種は、忘れたからといって消えたわけではないことにも関連する。いつか明るみに出たり育っていく可能性を許して、ガブリエルは種を守る。



そして、いつかその種を必要とする人がやってきたときに、「こんな種がありますよ」と知らせて差し出すのも、啓示を担うガブリエルの仕事なのだろう。

おとふ

rose_brazil.jpg


温かな野菜とお豆腐が美味しい季節になってきた。
9月は温野菜月間で、10月に入ってからはお豆腐! 卓上なべに豆腐と野菜(一種類か二種類…)をセットし、少量の水で蒸したり、ナチュラルハウスで買った植物性だしをいれたりしてホフホフ食べる。

祖父は湯豆腐が大好きで、毎日湯豆腐を食べていた。冗談ではなく、本当に毎日たべていた。漁師町で魚を追い回していたにもかかわらず、だ。もちろん魚も食べたが赤みは苦手、肉は論外。血の匂いが嫌だったらしい。←一族みんなそんな感じだった 

でもイルカは食べていた。イルカは食いしん坊で、漁が始まると集まってきて、船と一緒になって小魚を追い掛け回す。網から外れた群れをたらふく食べるのだが、ここで食べるのに夢中になったイルカは自分も網に引っかかってしまう。で、巻き上げて死体を確認するまで人は気づかない(大型漁船なので)。その死体はありがたく頂こう、という…生々しい話だ。

ちなみに豚肉そっくりのお味。もっと臭いけど…
イルカファンに石投げられそうだけど、積極的に狩っていたわけではないようだ。大量のねぎと酒で臭みをけして、美味しいけど積極的に食べたいものでもなかった。

ちなみに偶然拾って食べてしまうタイプの魚に、マンボウがいる。こいつは海上でプカプカ浮きながら昼寝をしているらしい。これも網の包囲網に気づいているのかいないのか、勝手に引っかかるそうだ。

昼寝説は嘘だと思っていたが、品川プリンスのアクアリウムで水の流れに翻弄されている姿を見て、「ああ、寝ているというか、寝ているがごときトロさなのだ」と気がついた。近くの方はぜひ一度ご覧頂きたい。

流されてガラスに激突しないためだったか、方向転換できないためだったか、保護するネットに囲まれてゆらゆら翻弄されている、海のナマケモノのような存在なのだ。脱力することうけあい。

昨日はたっぷりの九条ねぎとお豆腐。青いところをがつがつ食べた。美味しかったが今日は両手がねぎ臭いー。近所の友達(犬猫)(…)に嫌われそう。今日は水菜にするか。

一人、一匹、一株と個別に別れて生きているようで、生き物は環境そのものでもある。私は人だが、植物やイルカにとっては環境の一部だ。そして、互いに受け入れて生きる。

たくさんの生涯に支えられているのと同じように、環境からの支えあいもまた完全に対等で、(その影響が良かろうが悪かろうが)全てをなげうっている状態なのだ。

焼きたてのパンを食べつつ夜道を歩いていると、犬が寄ってきて、うっとりと匂いを吸い込んだ。すみずみにまで行き渡らせるように、のばした尻尾の先がふるえていた。

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