先日の滞在先では、思わぬ縁でヒーリングに関わることになって面白かった。海写真その他もあるので、近日ぽつぽつとUPする。←殆ど料理の写真だがな…
十姉妹とは、なんとその後、手に乗って穀物をついばむほどの仲に発展している。荒鳥というのか、人になつくことのないまま成鳥になったので、過度な期待は禁物……と自らを戒めていたのに! これではもうメロメロになるしかない。
今では、カゴに挨拶すると、出入り口に集まってきて歌ったりピョコピョコと尾をふりながら、手を待つように。か、か、かわいい……!
文鳥やスズメと仲よくなったことはあるけど、十姉妹がなつくとは思わなかった。手に二羽乗ってもまだ余白があるくらい、とても小さい小鳥だ。つがいなので、一羽はメスで卵をうむ。おっとりした子で、下手すると食べながら手のそばで眠りはじめる。卵をうみきると、すごく穏やかな顔になるのは「母」だなあと感じる。オスは今では、手を入れると指や髪の毛に向かってラブソングを歌ってくれる。なんだと思ってるんだろう。
以前、仕事で少し関わっていた縁が、つながっていることに気がついた。最近になって急に児童の成長に関した教育書や書籍によく出会う。ガイドもおすすめしているので「私がそういった仕事に関わるのだろうか?」と疑問に思っていた。実際は、クライアントさんに出会った時に、「ああ、この方に紹介しろということか!」とやっと了解することが多く、私の仕事は、本当にメッセンジャーにすぎないのだとよく分かる。
ということで、今日も思わぬ出会いがあった。
ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方
ラルフ・フレッチャー (著), ジョアン・ポータルピ (著), 小坂 敦子 (翻訳)
書く力について、以前ワークショップ内でも紹介したことがあったが、これは小学生を対象にしたワークショップや授業の研究例だ。表紙には外国の児童が書いている写真が載っている。
私は、書くように促すガイドが小さい頃からいたので、この「何でも書くこと」にたびたび危機を救われた。昔の話になるが、暴力を受けて、恐怖で声が出なくなったことがある。そのときに、文や絵を書けることが、私を救ってくれた。表現や創造性をふさがれるとき、人はとても苦しくなる。(愛も、受け取るより表現できなくなったときのほうが悲しい)
また、この本では「他人に読んでもらうこと」も通して子供達が自主的に取り組んでいく様子も伺え、昔の経験を思い出しながらうなずけるものがあった。まだ親の気持ちは分からないけれど、子供だったことがあるから、こんな授業が嬉しかったことが分かる。(私の小学校時代の先生たちは、今思うとよく偶然が続いたなと思うくらい全員がよくこんな授業をしてくれて、以後書くことが大好きになった)
また苦しくて声が出なくなった頃、文章や表現の仕事を紹介されて「伝えることを諦めないよう」ずっと励まされていた。ただ吐き出すだけでない表現を、当時、編集者に色々教えてもらった。コミュニケーションとしての書き方を教えてくれたのだ。
一部スパルタ的だったり、放り出したくなる衝動を抑えて冷静に深く追求し続けるようなシビアなときもあったけど、小学校の経験から始まり、あの頃までの経験は本当に役に立っている。
当時、お世話になった編集者には「右脳でしか活動してない人だ」と何度もいわれた。その頃、私はそういったものを毛嫌いして表現していなかったが、サイキックだと断言されて面白がられた。風変わりだと言われようが伝えるべきところは伝えて、自分の至らないところは別として認めるよう根気よく教えてもらった。
(もしかすると、自分でそう認めてしまったほうが、楽に話せるようになると知っていて、「そういった感覚を恐れるな」と励ましてくれたのかもしれない)
妙な世界を垣間見ていることを個性として楽しんでくれて、「伝えることに貪欲になって、諦めないこと」を教えてくれた。子供はとくに、風変わりであると笑われると恐ろしくなり、以後その話題は口にしなくなる。なんとか、伝わる表現で外に出していたほうが健全なのではないか、と思う。
スピリットの世界に勇気を持って向きあったのも、この経過があったからだと思う。はっきりいって、この世界は胡散臭いものが多すぎる。実際に感じるタイプの私でも率直にそう思う。だから、この世界に入る時には、なにがあっても、正直に自分の感覚に従おうと思った。取り組んでいる人は、あくまでただの人間なのだ。
つい、ごまかしたり、耳障りのいいようなカッコいい言葉をいって「聖なる言葉」を話したくなってみたりする気持ちは分かる。でも、伝えることに貪欲になるというのは、けして自分をごまかさないということだ。
直感や伝えなくてはいけないときがきたら、なるべく整形せずに話す。本当は「この言葉じゃ分かってもらえない」と分かっているのに、耳障りのいい言葉で自分や相手をごまかさない。(傷つけないといった配慮とごまかしは違う)
言葉だけでなく、絵や態度、行動にもそれはある。無言で伝えるのが最上なら、それをやる。もしかすると、もっといい方法があるかもしれないことを忘れずに、コミュニケーションを探る。きっと一生探り続ける。
妥協しない点をもったことで、私は、たぶんスピリチュアルのブーム的な要素からは外れている。(あまりヒーリング好きじゃないし……)
この本を読んでいて、私は偶然にも(偶然ではないけど)表現を諦めさせない環境に恵まれていたということが分かった。そして、今の子供達にこういったツールがあれば、きっと生涯で彼らの表現や自尊心を支える役に立つのではないかと思う。たぶん親御さんや大人にも役に立つはずだ。
……先日から、人に伝える必要があるものがくる気がしていた。セッション中には漠然とした内容しか浮かばなかったのだが、今日になって「子供の適性が様々であること」と「その適性における可能性のひとつ」として、この本のあった書棚の前までまっすぐに導かれた。
(私は本をよく読むせいか、たまにめったに行かない書店に導かれて、まっすぐ、その一冊があるところまで引っ張られることがある)
今回はガブリエルが関係していた。数日前から、一日に3度は「ガブリエル」という言葉をテレビ画面や著者リストから見つけていたのだが、本に出会って「ああ、こういうことか!」と分かった。
本についてもだが、児童について、書くことについてなど、ご縁のあった方々と共に、一緒に考えることができたことに感謝している。特に最近はこの傾向が加速していて、きっとご縁のあった方は、子供達、また将来にむけて大事な仕事を持っている方なのだろう。
こんにちは^^
十姉妹可愛いですね〜。
Satomiさんのリーディング
私、大好きなの。
Satomiさんの言葉は
ごまかしが一切なくて
ハートにスーッと届くから。
ブログを読んでやっぱり
Satomiさん大好き。って思った^^
ごまかさなさすぎて…
うまく言うことも大事だ、と日々反省しています。
竹を割ったようでいいから、不快にさせず、書いたり言えるようになったらいいんですが……正直なだけじゃいかん、と日々反省しています。
修行中です。
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